真鍋大度について



最近いろんなところ(主にウェブサイト)で真鍋大度氏の活躍を目にする。“メディア・アート界の奇才”とまで呼ばれている。ただ、正直こんなに有名な人だった(になった?)とは知らなかった。
真鍋大度をはじめて知ったのは、2005年、Sal Vanillaという舞踏グループが主宰するイベント『VANILLA SPORTS vol.01』(六本木Super Deluxe)に彼が出演したときのことだった。私はその会場に居て、当時Sal Vanillaと少しだけ関わりがあったこともあり、そのイベントの映像撮影をするためにビデオカメラを回していた。
イベントの中盤で、真鍋大度のパフォーマンスがはじまる。彼は雑然と並べられた機材とそれらをつなぐ大量の配線群に囲まれて、地べたに座っていた。前屈みになりながら、センサーに指や手をかざす。無機的だが剥き出しで息づかいのある電子音。数十分にわたる演奏は、なかなか心地よく且つ興味深いものだった。


音は物質と物質の、より詳細に言えば、粒子と粒子の「こすれ」によって生じるものであり、また、粒子と粒子の「ゆらぎ」によって伝達されるものでもある。つまり音とは、存在そのものの証明、存在の到来そのものの現れと言っていい。「訪れ」という言葉の語源は、「音連れ」からきているという説がある。音を聞くとき、音が聞こえるとき、われわれはそこに事物の現れと消息を感知している。
真鍋大度のパフォーマンスは、視覚と聴覚、アナログとデジタルを、「音=光=物質」という回路で結んでみせるような、マジカルな性格を持っている。それは一見即物的で単純そうに見えるが、「音と動きと存在」に関わる原初的な認知感覚をくすぐる極めて優れた“音学”でもある。




最後の動画は、私が撮影&編集を一部担当した2005年『VANILLA SPORTS vol.01』のプロモーション映像。真鍋大度のパフォーマンス風景も収録されている。