娯楽と環境保護

今日の『情熱大陸』は、世界中の水族館に向けて海の生物を卸している石垣幸二さんという方の特集でした。水族館から依頼を受け、生きたまま魚を提供する。珍魚を探しに外国の海へ自ら潜る事も珍しくないとのこと。ただそればかりではなく、水族館での生物の展示の方法自体をコンサルティングすることもしているそうで、それはとてもエキサイティングだし合理的でもあるし共感できた。ワンストップで調達から展示まで、いわば水族館界のベンチャー企業である。


放送の中で彼が言っていたことで非常に面白かったのは、「捕獲して水槽に閉じ込め“見せ物”として海の生物を扱うこと自体にためらいを感じたことはないか」という質問に対して、「水族館がなければ、わたしたちは海の中の生態系を知りようがない。そうするとたとえば海の中の生物に対する想像力が欠如し、環境破壊が進むかもしれない」という風にこたえた。これはおそらく先進国にしかあてはまらないものですが、しかしひとつの重要な回答のように思います。


取材で訪れたインドネシアのある地域では、世界的に希少な魚が食用として市場で売られていたりします。後進国では魚は鑑賞のためのものではなく当然食べるためのもので、それは動物的な行為です。生態系のミニチュアを水槽の中に再現するというような過剰でねじれた“遊び”は、こういうと誤解を招くかもしれませんが、極めて非動物的で、人間的な営みです。一部の人たちにとっては、未だにこの「人間的な営み」が、=環境にとって邪悪なるものということになっているようですが、石垣氏の言うように、他方でそれは、方法によっては、環境へのいい意味でのアプローチを助ける想像力喚起の場になりうる。人間的な営みと戦うのは「自然」ではなく、同じ人間の営みです。


そういう意味で、石垣氏のアイデアには、人間的な営みと自然保護とを決して対立概念にせず、娯楽と環境保護とを地続きにさせるような建設的なひらめきが隠れていると思います。それは「試み」ではなく、「発想」の問題です。今後このような発想が様々な分野で普及することで、環境保護についての試みの質が変化していけばいいとなんとなく思っています。