Nadegata Instant Party @Akasaka Art Flower



大学の先輩で、現代アートのキュレーションをやっている橋本誠さんの仕事(寿町での荷下ろし)を手伝ったあと、『Akasaka Art Flower』で開催されているイベントのひとつ、『Nadegata Instant Party』に連れられて行ってきました。小沢剛パラモデルの作品が展示してある赤坂の廃校で、一夜限りのミュージカル?公演。これが企画の内容が非常に面白く、

  • 事前に公募されたダンサー(といってもほとんど素人)やスタッフが、この公演企画用のSNSOpenPNEで作ったのかな)に集う
  • 本番までの数週間のあいだ、mixiの「コミュニティ」のような場所で、脚本や舞台構成や当日の担当等いろいろなことが協議されていく
  • 公演当日の朝、彼らはオフ会的にはじめてリアルの場で顔をあわせる
  • そこから本番までのあいだに、振り付け・台詞の練習、小道具等の準備、リハーサルなどを一気にやる
  • その日の夜7時、公演開始、終了後打ち上げ、そしてあとかたもなく解散

という何ともタイトかつアドホックかつラジカルなものでした(当日準備〜舞台のもよう)。舞台の内容は、「赤坂の地はかつて海の底で(うんたらかんたら)、その海が汚れてしまって、救いを求めて生き物たち(魚とか海藻とか、なぜかうどんとか)が不安と希望を抱きながら陸地へと続く坂(赤坂)を上って行く——そこでカタルシス」みたいな、しょーもないと言えばしょーもない、とはいえ、そこには「そうした神話ないし御伽話をもはや既に安っぽいかたちでしか表現できない私たち」という構造が巧みに暗喩されていたことが秀逸で、さらにその公演を前にした観客が「なんだかなぁ、いやでも、なんだかなぁ」と腑に落ちないでも放ってはおけないみたいな様子すらも、間違いなく意図された結果だったと思います。


そしてそれをリアルなCGMでやってのけてしまった、というのが最も恐るべきポイントです。逆に、一般的な「舞台表現=演劇・ダンス…」の文脈では、こうした発想はまず出てきません。舞台とは演出に時間をかけるもの、俳優とは演技や舞踊のテクニックを習得し続けてきたもの、というのが、ある種の前提であり目的に達する為の手段の一部でもあるからです。それを逆手にとってやっている、と言ってしまうと少しいけ好かない感じがしますが、けれども、この『Nadegata Instant Party』は、現代アート界にとどまらず少なくとも舞台表現の側からももっと積極的に批評されていい「舞台表現」だと思います(ただ残念ながら大半の演劇評論家がこの作品の存在すらチェックしていない状況だとは思いますが)。もっと言えば、これには「アートの祭典をもはや常に形骸化したかたちでしか生み出せない私たち」というメタファさえも含めれている気がします。『Nadegata Instant Party』は、それに対する“回答”ではなく、そうした「学芸会化するアート」そのものへの“問い掛け”として、評価されていい作品なんじゃないかと思います。


主催メンバーの一人である山城大督さんが勤務されているYCAM:山口情報芸術センターでは、12月にPort Bの公演があるみたいで、そちらも面白くなるのではないかと期待しています。