佐々木敦『(H)EAR——ポスト・サイレンスの諸相』



雑誌やラジオやネットで佐々木さんの言葉にあたることは間々あるけど実は彼の著書を読んだのはこれが初めて。大抵本は通勤と帰宅のあいだにiPodを聴きながら電車の中で読んでいるのだけど、読み始めは「これはポップスやロックとか聴きながらは無理だ」と思い『I'm happy, and I'm singing, and a 1,2,3,4』か『Die Nacht Der Seele』か『Diskaholics Anonymous Trio』を聴きながら読んでいたのだけど、後半に至ってはもはやヘッドフォンすら耳に付けられないような倫理にとらわれた。評論にしては恐ろしいスピードで読めてしまった。


特に1章後半の「フィールド・レコーディング」について触れられた文章は、音楽だけではなく写真論に興味がある人とかが積極的に読んでもいいんじゃないかと思う。固有名詞の大半は初めて耳にするようなものばかりだったけど、大学時代に考えていた、写真とレコーディング・サウンドの関係について何か腑に落ちるものがあった。どちらも対象を「撮ること=録ること」、またその行為や成果物がエンターテイメントからも芸術からも遠いという点において一致している。また一方で、そうした近似性が見えてくればくるだけ同時に両者の決定的な(メディアの質や歴史の)違いも浮き彫りになっていく。


いわゆる「サウンド・アート」と呼ばれるような創造・批評活動に対して、他方、思うに写真におけるそれはまだまだミニマルな方向へ解体されきっていない印象がある(もちろん全くないということはない)。それはつまり、音楽における「ジョン・ケージ以降」というパラダイムに相当するものを、写真はまだ持っていない、と言い換えてもいい。しかし、写真の存続領域というのは極めてナイーヴで、ともすると写真は表現方法によっては簡単に絵画や映画や物理学の領域に回収されてしまいかねないにも関わらず、写真とそれらその他のメディアのあいだにある垣根は、サウンド・アートと音楽のあいだにあるそれよりも格段に高いときている。とはいえ、もちろん写真の内側から写真のあり方そのものを問うような方法はもっともっと多くある筈だ、ということを、本書にまとめられた音楽家や作曲家や演奏者の活動や思考の中から学びとるべきだと強く感じた。