Winning Eleven 2009



ウイニングイレブン2009』を友達が手みやげに買って来てくれたので、さっそくやってみる。
各国の登録選手や細かい機能のバージョンアップはさておき、何よりPS3ならではの3Dグラフィックとカメラワークのスペックがすごい。シュートシーンのリプレイ、試合後の得点シーンのハイライトは、ほとんどサッカー中継やスポーツニュースと見まがうような出来映えである。パス回しから前線にスルーパス、シュートしたこぼれ球を詰めてきた他の選手が最後押し込む、みたいな一連の流れがハイライトされるたびに「あーこういうのテレビでよく見る見る」と盛り上がる。


つまり、サッカー中継のカメラワークにおける演出というのはある程度定型化しているということで、更にウイニングイレブンはそのフレームワークを見事に踏襲できているということだと思う。サッカー中継におけるカメラワークは、テレビもゲームも、いくつかのパターン・変数の組み合わせから導き出されたものであるという意味ではほとんど同じものである。そしてそれは、「映像」だけではなくて、実況や解説という「音声」についても言える。何万フレーズ、何十万フレーズの中から組み合わされる実況や解説は、ことごとく「あーあるある」「そういうこと言う言う」といった展開のものが多く、現実の再現可能性に対して「リアル(笑)」を感じざるをえない。


ウイニングイレブンをプレイすることによって得られるもっとも大きなものは、サッカーの疑似体験でも対戦のスリルでもなく、こういった一種の「(メタ)映画体験」なのだと思う。そういう意味で、このゲームは、サッカーゲームをやるというよりは、サッカーゲームを通して疑似サッカー中継=サッカー映画を作り出すための装置だと言った方が近い気がする。ウイイレは、ユーザーのアクションに応じて<映像+音声=映画>を編集し作り出すための機構そのものである。


このような、ゲームソフトの「映画」化は、『METAL GEAR SOLID 4』をやったときにも強く感じた。あれは正に、戦争映画やスパイ映画の<映像+音声>そのものをゲームの中で生成していくためのエンターテイメントツールだった。いっときFFシリーズがやろうとしていた、「インターバルにちょっとしたムービーを流すことでゲーム内の物語を映画っぽい雰囲気に仕立て上げる手法」とは決定的に違い、ウイイレメタルギアは、「ユーザーのインタラクションに応じた映画化可能性を常に内在させる手法」をとっている。前者が単に「演出」的なものにとどまっているのに対して、後者はゲームの「構造」それ自体に深く関わっている。(ただどちらもその良さは比較できない)


そして、そのうち今度は、逆に、映画の「ゲーム」化が進んでくるかもしれない。